Results matching “市場” from 羽田製茶:製造直売で最高品質の「かぶせ茶」を三重県鈴鹿市長沢町からお届けします。(海外発送OK)

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羽田製茶ビデオ会議で、インタビューをすることにしました。話を聞くことも、親孝行の1つと思いました。続柄は、直樹から見たものです。

重成(父親)から、三郎(祖父)の話

親父は、勉強など、あれこれいわず、自由にのびのびと育ててくれたように思う。親の姿を見て、子は育つという方針だったように思う。

お茶は共同でしていました。作っていたは農作物、さつまいも、うどが多かったです。米を田んぼで作って売っていました。

農協を通して、名古屋市場、大阪市場、東京市場に売っていました。特大、大、松、竹などのランクをつけて共同出荷していていました。

重成から、よしへ(祖母)の話

母親は、いたずらなど、よくないことをすると、仏さん(仏壇)の前で謝らされた覚えがあります。若い頃は農作業はしていたようですが、美佐子の嫁入り後は、農作業はしていませんでした。

重成は、父親44歳、母親36歳の時の子です。

重成から、実家に関する思い出

牛は、農作業の手伝いのために飼っていました。耕運機の代わりで、荷馬車を引いたりもしていました。

牛が田んぼで逃げて、家の牛小屋に逃げてきたことがありました。半年とか1年の子牛を買って来て、3-4年育てて売るとお金になりました。今から、50年ぐらい前の話です。

牛小屋の隣に、馬小屋があって、山羊を飼っていました。山羊の乳を搾ったりしていました。田んぼで冬場などに肥料のするために育てている、蓮華を取ってきて、牛や山羊に餌にしていました。

美佐子(母)から、国治(祖父 くにはる)の話

近所の人たちみんなからは、「くーちゃん」と呼ばれていました。さつまいも、キャベツ、しいたけ、大根、サトイモ、ショウガ、などをたくさん作って、農協に出荷していました。さつまいもはでんぷん屋に持っていって、他のは農協に持っていっていました。さつまいものつるも芋床が育てていました。芋どこにカブトムシの幼虫がたくさんいて怖かった覚えがあります。直樹は、カブトムシの幼虫をみて、とても喜んでいました。

昔は食糧不足でサツマイモも作っていましたが、でんぷんの材料にするようになりました。乳牛、豚などを飼っていたこともあります。

嫁入りしてから、40年ほどしてから、さつき作りをするようになりました。畑の土を持っていくけど、値がよかったので、懐がよくなって、旅行などに行けるようになりました。

性格は、几帳面で、さつきでも縦横がそろっていないと気に入りませんでした。近所の人に大雑把な人がいて、大雑把に仕事をしてもいいけど、仕事を覚えるときには、きちんと覚えることと言っていました。

美佐子(母)から、君子(祖母)の話

毎日、畑仕事ばっかりに行っていました。はつえさん(ひいばあちゃん)がご飯の用意をしていました。雨が降ると、畑仕事に行かないので、てんぷらを作ってくれていました。

秋になると、稲刈りの後に藁を片付けに、月明かりで夜中にも畑仕事に行っていました。すずみ(わらで作ったとんがり帽子の形)を作るためです。そうすると、藁が乾燥して、春まで藁が持つようになります。

今では、乾かして倉庫に入れたりしています。今では、コンバインが主流なので、藁はバラバラになります。コンバインが流行る前には、バインダーが流行っていて藁を自動でたばねるようになっていました。コンバインだと、束ねないで脱穀するようになりました。藁は、切っていくか、バラバラになります。

バラバラにすると、肥料にするために、田んぼにすきこんでいました。大規模の米作りでは、一度に4mほど刈り込んで、機械の中で仕分けて、モミと藁をわけるだけになっていました。クレーソンという外国の機械でした。その頃は、コンバインも使われていなかった。

耕地整理という政策があって、区画整理をして、道路などを作るようになりました。道がない農地を持っている人も、道ができて、仕事がしやすくなりました。40年ぐらい前、1960ー1970年代の話です。

美佐子(母)から、はつえ(ひいばあちゃん)の話

ひいばあちゃんは、畑仕事はしないけど、ご飯やおやつをよく作ってくれました。ヨモギ団子、パン、あられ、干し芋、どうかんだんご、などをよく作ってくれました。それで自分でもおやつなどをよく作るようになりました。

パンはイースト菌をいれて、屋根の上に置いて、発酵させていました。その頃にしては、パン作りなどハイカラなことをしていたと思います。


ありがとうございます。

-Naoki

2番茶

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2番茶とは、新茶(一番茶)のお茶刈りを終えて、大体46日ほどたった時期のお茶のこと言います。
お茶は、46日経つことで、新しいお茶の芽が出始めます。
その芽を刈り取ることが2番茶となります。
そして、今ちょうどその時期に差し掛かってきて、2番茶が始まりました。

2番茶は、一番茶と比べ色や味、風味などの品質が落ちてしまいます。
どんなものでも、やはり一番最初にとれるものであったり、旬のものはおいしく感じられるのと一緒ですね。

羽田製茶の小売りは、皆様に一番おいしいお茶を楽しんでいただけるよう一番茶のみと決めているため、2番茶は市場にすべて託す形となり、一般の市場に出回っているようです。


羽田製茶は、三重県鈴鹿市長沢町で緑茶の生産、卸、販売しております。 主には市場に出荷していますが、予約制の卸および小売販売も行っております。 家族経営で羽田重成と羽田美佐子が運営しています。 長女の桂子は和裁師で、次女の真弓が看護婦をしていますが、お茶の季節はみんなで手伝っています。 羽田製茶のこのウェブサイトは、アメリカのシリコンバレーに在住している長男の羽田直樹が作成管理しています。

Special Thanks:
健康にはもともと気を使っていましたし、緑茶の健康成分(ビタミンC,カテキンなど)のおかげと、 家庭菜園で採れた野菜で特に大きな病気もなく健康だと思っていました。 健康だと思っていても、それ以上の健康があることが分かりました。 おかげさまで、羽田製茶も長く続けられそうです。

羽田製茶で生産しているお茶について

羽田製茶では、三重県の伊勢茶として「かぶせ茶」を作っております。 主に生産しているは、1番茶と2番茶です。

ウェブサイト上では、かぶせ茶の1番茶(春の新茶)を予約制による通信販売を扱っております。 2002年より、1番茶の粉茶100%のティーパックも承るようになりました。

三重県は全国3位のお茶の産地で、鈴鹿山脈のふもとが主な産地です。 三重県のお茶は「伊勢茶」とも呼ばれます。

「かぶせ茶」というのは、お茶の種類の1つで、煎茶よりも渋みがすくなく、うま味の多いお茶です。

「1番茶」というのは、お茶の収穫時期による種類分けの1つで、春1番のお茶でもあり、「新茶」とも呼ばれます。

柔らかい新芽や茎なども全て含まれています。

「粉茶」というのは、緑茶の製造工程の最終段階で選別されるお茶です。 乾燥機から出てきたお茶が網の上を通って送られるときに選別されたものです。 この粉茶になるのは、製造工程で粉状になった部分です。 粉になりやすい部分というのは新芽の中でもとくに柔らかい部分です。 この粉茶のティーパックを水出しとして使いますと、約2分でお茶が出ます。

羽田製茶では、主に市場に出荷しております。現在のところは在庫を抱えない方針でいます。 お茶の品質は畑ごとに異なりますので、畑ごとお茶をサンプルとして市場に出して、このお茶が何kgありますということで、値段の交渉があり出荷価格が決まります。 また、羽田製茶の場合約2週間がお茶の製造期間になるのですが、早い時期のお茶は芽も若くて品質がよいものになります。 このウェブサイト上では、産地直送の製造直売で予約制販売の形を取っています。 上記の出荷価格はすぐに決まりますので、予約注文のあった分量を前もって分けておいています。 予約のあったお客様に、シーズンの1番早い時期の羽田製茶のなかでも最高品質のものをお届けしています。

羽田製茶では、主に市場へ出荷しており、在庫はかかえない方針でいます。

そのため、市場へ出荷する前に卸売りおよび小売り販売分を控除しておきます。

予約をいただいた方へは、郵便局の代引きで発送します。

基本的には、注文の料金+ゆうパック送料+代引き手数料(\250)+振り替え手数料となります。

たくさんご注文をいただいた方には、大口割引させていただきます。

ご贈答の場合や、郵便代引きが不都合である場合には、先払いで郵便振替で送金していただくかたちになります。

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